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FOUNDING MEMBERS

創業メンバー

お客様から求められ業界トップクラス、右肩上がりの成長を続けるRA。
ワークライフバランスもとりやすく働きやすい。「会社が大好き!同僚が大好き!」という従業員が多く、風通しのいい雰囲気が自慢です。

しかし、最初からそうだったわけではありません。数々の困難にぶつかり、会社を守るべくあらゆる工夫で乗り越えてきた歴史がありました。

苦しくも楽しい創業期を支えてきた立役者3人にお話を聞きました。

初田秀一 解体マッチング/マネージャー(左)

中野達也 創業者/マーケティング(中央)

市川善勝 マーケティング/マネージャー(右)

「必死」がキーワードの創業期

中野さんは、社長と一緒に立ち上げた創業者ですね。

中野:はい。25歳の時、社長から「一緒に会社を興そう」と誘われました。
起業当初は、インターネットを活用して何かできないかと、いくつもの事業に挑戦したし、いろいろな商材を試していましたね。そんな中で「マッチング・ビジネス」という事業モデルを知りました。最近では当たり前となってきた、インターネットを活用したマッチング・ビジネスも、当時(2011年)、ネットで目にする機会はほとんどなかったですね。だからこそ、マッチング・ビジネスには可能性も感じていたし、成功させたいという気持ちもありました。

「会社を興して一旗揚げるぞ!」という感じだったんでしょうか?

中野:いやぁ、正直、特にそういう気持ちはなかったです。
でも、事業を育てていくうちにどんどん面白くなってきて、成功させたいという気持ちは強くなってきましたね。社長がもともと不動産会社に勤めていたこともあって、解体業界の古い慣習とか課題が見えていたので、僕ら独自の仕組みをもったビジネスモデルが作れたら社会貢献にもなるし、面白いと思うようになったんだよね。

そのくらいのタイミングで入社なさったのが、初田マネージャーですね?

初田:そうですね。僕は転職先を探そうと求人サイトを見ていて、たまたまRAを見つけました。
当時、人と対面で接する仕事は自分には向いてないという思い込みがあったんですけど、RAの仕事は電話対応がメインって書かれていたから、それで興味を持ったのがキッカケですかね。

中野:面接に来た時は衝撃だったね!!今もRAの伝説として語り継がれている…、(笑)

初田:面接にスタジャン(スタジアム・ジャンパー)で行ったことですか!?
あれは「服装は何でもいい」って言われたんで…。でもオフィス着いたら皆さんキチッとした服装で焦りましたよ!僕も忘れられないですよ!(笑)当時はビジネスマナーとか全然わかってなくて。入社してから、ビジネスに大切なことを社長からたくさん教えてもらいましたね。だからそれ以降、仕事でどこか行くときは「何でもいい」って言われてもスーツ着てます!絶対に!(笑)

市川マネージャーは、社長からのお誘いで入社なさったんですね。

市川:社長と中野さん私は同級生で、もともと友人なんです。
RA入社前、私は個人事業をしていたんですけど、それだけじゃ食べていけなくて飲食店でも働いてました。その頃上京してきた社長とよく近況報告をし合っていて、会話の流れで僕が「そろそろ実家に帰ろうかな」と話したら「RAに来てよ」と誘ってくれました。会社が少しづつ成長しているタイミングで「人は増やしたいけど、信頼できる人が欲しい」と声をかけてくれました。

入社してみて、どんな印象でしたか?

市川:最初はお客様対応をするオペレーターでした。
初田さん含め数名のメンバーが必死でやっていたところに入社したので、とにかくすごく忙しかったです!必死にやりました!

初田:あの頃は確かに必死でしたね~。僕自身もそうだし、周りのみんなも。

中野:市川さん来てから2~3年は、ずっとそんな感じだったよね。

市川:オペレーターが必死な傍らで、中野さんたちは別の事業も動かしていて慌ただしかったですね。

マーケティングのお仕事はどういう経緯で始められたんですか?

市川:3ケ月くらい経ったときに、中野さんがやっていた集客業務を私が引き継ぐことになったんです。
それからはずっと、マーケティングのお仕事をやらせてもらっています。当時は、業務ごとに「部署」としての形ができ始めていました。

3ケ月でマーケティング部のトップになるっていうのは、ビックリしませんでしたか?

市川:当時はいろんな業務が目まぐるしく動いていたから…。
考える間もなく「がむしゃらにやる!」みたいな感じでしたね。必死でしたよ!(笑)

初田:辛いとか楽しいとか自覚してなかったけど…。きっと楽しんでたんでしょうね。

市川:みんな20代中盤で、若かったってのもあるんですかね。

中野:今、同じようにやれるかって言ったら無理だよね!(笑)

初田:間違いないですね!(笑)当時はその忙しさが普通になってて…、
たとえば、夜遅くまで働いていても特に違和感がなかったんですよね。忙しすぎてちょっと麻痺してたのかなと思うけど、無意識に「会社を創る楽しさ」っていうのはあったんでしょうね。

中野:あったね。当時、未開拓の市場だったから、模範とする会社がなくて。自分たちで考えて「あれやろう、これやろう」だったから。
業界では僕らが先駆者的なポジションだったから、確かに楽しかったですね。

市川:私は飲食店勤めで深夜帯に働くのは慣れていたから、その点に関しては割と平気でしたね。
マーケティングのお仕事になってから、今もお世話になっている坂下さん(※)が様々なことを教えてくださったんです。
坂下さんは「とにかく仕事」の人。師匠である坂下さんと同じペースで働いて、新しく創っているという手応えを感じていました。
(※外部の協力会社の社長。RAの事業にマーケの視点で多大なるご協力をいただいている)

「頑張らないと、潰れるぞ!!」

市川:私が言っていいかわからないけど、やっぱり立ち上げてから日の浅い会社だから「潰れるかも」っていう危機感はみんな常に持っていた気がします。きっと全員が「頑張らないと潰れるぞ!」っていう気持ちで頑張っていたんじゃないかな。

中野:確かに、あの頃は常に資金繰りについて不安を感じてたなぁ…。
だってさ、大きな仕事が決まって入金された時は「これで生き延びられる!」ってホッとするんだけど、次の週とかには無くなってさ、その繰り返しだもんね。

初田:今では当たり前に協力し合っている業者さん達とも、初めは関係づくりが大変でしたよね。

中野:そうそう(笑)全国対応を実現するために取引先の新規開拓を頑張ってたけど、当時はネットの仕事が全然信用されなくて。
解体業者さんには、ろくに話も聞いてもらえずに断られてばっかりでしたね。怒鳴られて切られることがしょっちゅうだったよね。

初田:今はもう解体業界もネットが当たり前になって、怒鳴られて電話を切られるなんてことはなくなりましたけどね。

市川:確かに、当時はネットリテラシーが全然違いましたね。

初田:あれから、地道に信頼関係を築く努力はしてきましたよね。
今ではビジネスパートナーとしていい関係性ができてて、それは本当にありがたいです。取引先の開拓含めて、いろんなことを少しずつカタチにしてきましたね。事務所も何度か移転したけど、表参道に移転したタイミングで幅広く拡大したような気がしますね。

市川:確かに。そういえば、オフィスを表参道に移したくらいのタイミングで集客面では波乱がありました。
様々な外部要因が重なって集客がない状況が続いたんです。「やばい!」と思って動いている中で社長の檄も飛んでくる。いろいろ考えて突っ込んで意見を出して、いい数字をキープできるようになっていきました。波乱を乗り越えて以前よりも増やせたお客様を、当時は4人くらいで対応してましたよね。

初田:ですね。お問合せが増えて一人あたりの対応件数がものすごかったですね!
お客様対応だけでなく、現地調査の段取など付随る業務も全部自分でやってたから忙しかったですね。

市川:その時に「オペレーターにサポートメンバーがつけば、業者さんへの連絡とか任せられて負担が減るんじゃないか」ということで、ペア制を作るためにアルバイトを雇うようになったんですよ。きっとその時が、事業拡大のタイミングでしたね。

初田:やっと安定したカタチを作れるようになったのはその頃です。

市川:それでベテランのオペレーターがある程度自由に動けるようになって、求人で追加募集をかけて人員も安定したという流れですよね。

初田:そうですね。オペレーターだけでなく、現地に行ける営業マンを雇ったのもその頃。
その時に初めて、お客様の工事品質を良くしていくための品質管理部もできましたね。中野さんがリードして立ち上げてくださって。

中野:ああ、カナさん(寿退社した同級生の女性社員)と一緒にね。
品質管理部の設立も色々と苦労が多かった印象だな…。だって、会社が今よりも小さくて人員が全然足りてなかったからさ、僕も初めての事ばっかりで、信頼して仕事を任せられないスタッフが1人増えると、逆に仕事が回らなくて。

僕らはずっと「自分で考えてがむしゃらにやる!」っていう働き方をしてたから、新人教育なんて仕組みは全然なかったんだよね。
だから、せっかくお金かけて求人広告だしても、採用した人は続かないし。僕からしたら「目的は教えているから自力でもやれるでしょ」と思ったんだけど、きっと働き方のイメージにギャップがあったんでしょうね。だから、その頃は同級生のような元々関係のある人を採用するケースが多かったんだよね。

でも反対に、そういう会社の不完全さに可能性とか面白み、やりがいなんかを感じてくれた人が会社に残ってくれたんだと思います。

初田:「学校じゃないんだから自分でググれ!」とか、結構叩き込まれた時期でしたね。

中野:教育体制とか作っている余裕なかったしね。

市川:そう思うと変わりましたね!
教育も徐々に体制ができつつあるし、お給料とかその辺のことを経理・総務が管理してくれているのもありがたい。全て自分たちでやっていた当時からは考えられないですね。

初田:それは大きいですよね!会社の成長で考えると、人が増えたことで自分の役割に集中できるようになりました。
以前は経理関係も僕の仕事でしたし。採用も、今は人事が担当してくれてますけど、それもずっとマーケがやっていたし。

市川:マーケならではの成長実感でいうと、私がマーケティングのお仕事を始めた頃と比べて広告費が7倍ぐらいになってるから、すごい成長ですよね!!

社長への思い、メンバーへの思い

初田:社長に対しては……。僕にとっては「小学生から見る、親戚の高校生のお兄ちゃん」みたいな感じの、尊敬とか憧れの対象ですね。
「自分もああなりたいな」とか「頑張ったらなれるのかな」みたいな夢を与えてくれるし、面倒見てくれたり、気にはかけてくれるけど厳しさがあるとか…。人間としても、ビジネスマンとしても育てていただいたし、すごく信頼してるんですよ。

中野:へぇ、そうなんだ。(笑)僕は小学校からの幼馴染だから、創業時は「佑一」って呼んでたんだよね。
でも、社員が増えてからは、仕事中は「社長」って呼ぶようになって。それから、ハッキリは覚えてないけど、いつの間にかプライベートでも「社長」って呼んでるね。(笑)別に関係性が浅くなったとかでは全然なくて、僕からの見え方が変わったというか、仕事に関してだけではなくて、人として尊敬の念が強くなったのかな。と思ってます(笑)

初田:同級生じゃないメンバーも、昔は社長のことを「鈴木さん」って呼んでましたけど、途中から「社長」になったんですよね。
言葉遣いとか呼び方とか「仕事の時はけじめをちゃんとつけよう」って、みんなで決めたのを思い出しますね。

ちょっと遠くなる寂しさみたいなのはあるんですか?

中野:寂しさは特にないけど……。「でかくなったな」って思いますね。(笑)

市川:私も中野さんの感覚と似てます。高校時代は一緒にバンド組んだりよく遊んでいました。
偶然にも新卒の就職先も同じ会社でした。それもあって、入社当初は社長のことを自分と対等に見ていましたね。私は負けず嫌いなので対等にぶつかっていくことも多かったです。ここ5年くらいで、ミーティングでも業務より経営的な話が増えてきて「会社のことをちゃんと考えているんだな」という尊敬の念が増していきました。社長はもっと前から経営のことを考えていたんだと思いますけど、僕がその凄さに気づいたのがそのタイミングでした。今は友達目線だけでなく、社長として本当に尊敬しています。

中野:友人と起業すると破局するっていうのは、よくあるケースみたいだけど、交流のある社長さん達からは「よく成り立ってますね!」って、ほとんどの人から言われるなぁ…。正直、「もう一緒にやってられるか!」みたいな危機は何度もあったし。でも、何だかんだ、ぶつかりながらもお互いに乗り超えてきたって感じですかね。

市川:私も正直「辞めてやる!」と思ったことは何度もあります。
ただ、このまま辞めたら負ける感じがしたので、SEOで広告を上回る集客が取れたら辞めてやろうと思ってました。今だから言えますけど。(笑)

今もそう思うことあるんですか?

市川:一切ないです。

仕事が面白いからですか?

市川:仕事の面白さももちろんあります。
会社がどんどん大きくなっていく面白さや、世の中への影響が大きくなっていっている面白さもありますね。
仕事以外のところで言うと、川崎さんの存在が大きいです。今もいたらこの座談会にいるのは私じゃなくて川﨑さんだと思います。立ち上げから一緒に頑張ってきた人で、事業拡大の前後で業務量が増えてすごい辛そうだった。川﨑さんはもともと持病があって続けられなくなってしまったけど、私にはとても影響の大きい人です。それからは「この会社、良くなったよ!」と川﨑さんに言えるようになろうと決意しました。そこが「辞めてやる!」と思っていたところから本当に切り替わったポイントですね。

初田:僕も川﨑さんに仕事を教わっていたから、ぽっかり穴が開いたような気持ちはありました。
でも捉われているわけじゃなくて、川﨑さんに教わったことを含めて自分がやれることを、今いるメンバーと一緒にやっていこうと。

市川:メンバーが増えたことは、とってもありがたいですね!
私はマーケチームですが、ずっと1人の時間が多くて。「基本的に何でも全部やる、自分でやる」っていうスタンスだったんですよね。それが今これだけメンバー入ってくれて、みんなが一緒にやってくれてるおかげで違うことができるので。本当に感謝しかない。

初田:僕も感謝してます!それともう一つ、僕はみんなへの期待が強いのかもしれない。「この会社、頼むぞ!!」っていう。…きっと、娘を嫁に出す時ってこんな気持ちなんだろうな。(笑)僕は解体マッチング事業のマネージャーとしては社内で一番歴が長いし、会社の売り上げを作る生命線だという責任をすごく感じてますからね。

これから入社してくる人へ

これから入社してくる人に対して、伝えたいことはありますか?

初田:良くも悪くも自分次第で変わるので「頑張れ」って思います。メンバーに対する気持ちと同じように、「頼むぞ」って期待もしてます。

市川:ビジネスマナーや礼儀はとても大事ですが、「この人は上で、私は下です」みたいなのは必要以上にいらないと思っています。その考え方がエスカレートすると、今の風通しの良さがなくなる気がします。若い人が感じていることも発信してほしいと思っています。

中野:僕は創業者でもあるけど、今はマーケティングチームのいちメンバーでもあります。
経営者と社員、両方の目線で見ている僕だから言えるのは、RAは大手企業のように整っていなかったり、決めていなかったりすることもあって、入社すると驚く部分はあるかもしれないです。でも、そういった未完成だったり遊びがあったりする点が面白みとなっている会社だよ、ということですかね。そんな面白みを持った会社で、一緒に仕事を楽しめたらいいなって思ってます。

あとは……、仕事ってスキルが上がったり、成果に繋がったり、そういう手応えを感じると楽しくなりますよね?
会社だからそれは勿論あるけど、RAってそれだけじゃないよね。「人生の楽しみ方」が広がって増える会社だと思うんですよね。僕だけじゃなく、他のメンバーもそう感じてるみたい。社長から聞いたことあるんだけど、あるメンバーから、RAで過ごす中で「そういう成長実感があります!」ってメッセージが届いたことがあるんだって。

大切にしたい価値観ってみんな違うから誰にでも合うわけじゃないけど、ハマったら人生楽しくなる、すごく面白い会社だと思いますよ。
社長が目指す「入社した本人が幸せになる会社」って、そういうことなのかもしれないね!

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